あの頃のジョナサン・ラーソンも、こんな感じだったのかなぁ・・・

先日、友人の紹介で あるバンド のライブを観に行きました・・・
ライブを観ていたら、「まだ売れてない頃のジョナサンもこんな感じだったのかなぁ」と、ふと思いました。
みんなが良いというからじゃなくて、自分で良いと感じることを大切にしたいですね(^^v


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RENT(レント)-Making 〜演劇好き少年、ジョナサン・ラーソン〜

ジョナサン・ラーソンは、ニューヨーク近郊にあるホワイトプレーンズという場所で、1960年2月4日に生まれました。両親(アルとナン)と5歳年上の姉(ジュリー)との4人暮らし。

芝居好きの両親は、ジョナサンが小さい頃からよく芝居小屋に連れて行ったといいます。そういった影響もあって、ジョナサンは幼稚園の頃から近所の子供たちを集めて、TVドラマの真似事をしていて遊んでいた。小学校3年生の頃になると、芝居を書いて地元の新聞に写真付きで紹介されるほどだった。

ジョナサンの親友かつ幼な馴染みで、最もジョナサンに影響を与えたひとりが「マット・オグレディ」でした。マットがジョナサンにRENT(レント)を書くインスピレーションを与えたと言われています。
実際、マットは「RENT」の「Angel」のモデルであり、自伝的ロックミュージカル「tick,tick,BOOM!!」のミッシェルのモデルでもあります。

マットとジョナサンは、同じ高校に進みます。ジョナサンは、自ら俳優として活躍しつつ、高校側に働きかけてミュージカルカリキュラムを創設します。その功績が認められ、 ジョナサンはニューヨーク州ロングアイランドのアデルファイ(Aldelphi)大学へ進学した際、4年間の授業料全額免除の奨学生資格を獲得しています。この大学在学時に、デヴィッド・アームストロングと共に、ジョナサンにとっての初めてのミュージカル作品「Sacrimoralimmortality」を書きました。ジョナサンは大学時代に、その才能を発揮しました。大学の教授たちにもジョナサンが作った斬新な音楽の印象は、いまだに強く残っているほどだといいます。

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RENT(レント)-Making 〜ジョナサン・ラーソン、ニューヨークへ〜

1982年の春、輝かしい大学生活に終わりを告げ、ジョナサンは憧れの街・ニューヨークにやってきました。ルームメイトを見つけ、ぼろぼろのロフトを借りて、ダウンタウンでのボヘミアン生活が始まったのです。バスタブがキッチンにあり、壊れたトイレの天井から陽がさしていたほどでした。
そして、ソーホーにある「ムーンダンス・ダイナー」というレストレンでウェイターのバイトをこなしながら、ジョナサンは非常に多くの曲を作りました。

当時、ジョナサンはミュージカルをもっと自分と同年代の若者たちのものに変えたいという願いを持ち続けていました。ミュージカルの音楽は、1940年から基本的には変わっていない。1943年に登場した「オクラホマ」は素晴らしかったが、1996年を迎えてもなお「オクラホマ」と同じでは情けないと感じていました。ダウンタウンに住む多くの若者は、「音楽は好きだけど、ミュージカルは好きじゃない」と感じていました。そして、ジョナサン自身、「今のブロードウェイは音楽も、ストーリーも、俺たち若者のものじゃない」と感じていました。7年にわたってミュージカルを書き続ける中で、常にジョナサンはこの想いを訴え続けていました。そして、ようやく出会ったのが「RENT(レント)」だったのです。

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RENT(レント)-Making 〜ビリーとの出会いとRENTの産声〜

エール大学の学生だったビリー・アロンソンは、オペラ好きで「ラ・ボエーム」を現代に置き換えたミュージカルを作れないものかと思案していた。そんな時、演劇関係の知人の紹介で、ビリーはジョナサンと会うことになった。二人は何度か会って話をするうちに、意気投合し、将来作りたいミュージカルについても色々と話をした。この1989年、まさに後にRENT(レント)として誕生することになる小さな卵が温められ始めたと言えるかも知れない。

タイトルを思いついたのは、ジョナサンの方だったらしい。当初、ビリーはニューヨークのウエストサイドを舞台にしたいと考えていた。一方、ジョナサンは、ダウンタウン(=イーストヴィレッジ)をと反対した。ジョナサンが「ラ・ボエーム」という作品について注目していたのは、次々と肺炎に犯されていくボヘミアンたちの恐怖がオペラの根底に流れている点だった。
現代で言えば、「肺炎=エイズ」というのがジョナサンの考えだった。そして、ジョナサン自身はエイズではなかったが、多くの友人がエイズに関わっていたので、知識も豊富だったし、自分の実体験を活かせる題材だった。1991年、ジョナサンはビリーにRENT(レント)を自分の作品にしたいと申し出て、ビリーの承諾を得て、いよいよRENT(レント)が本格的に作品になるべく、動き出しました。

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